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この人に聞きたい 「夫婦二人、慌てず・焦らず・諦めず」漫才コンビ 宮川花子さん

今回は漫才コンビ「宮川大助・花子」の宮川花子さんです。全国各地で精力的に活動されている中、東京での舞台に出演されている合間にインタビューさせていただきました。このときのお衣裳(写真)は、ご自身で手編みをして作ったとのこと。いつでも夢を持ち、さまざまなことにチャレンジされている花子さんから、たくさんお話を伺いました。

先に夫婦、コンビが後

私は小さい頃からおもしろいことが好きで、多くの素人お笑い番組に出演していました。高校卒業後は大阪府警察に勤務していましたが、幼なじみに誘われて軽い気持ちでお笑いの世界に入り、チャンバラトリオに弟子入りしました。

大助くんとは1975年7月、師匠の巡業について行った先で宮川左近師匠の弟子として出会いました。第一印象は、マジメな人やなぁと思いました。今でもマジメですけどね。

不思議なことに大助くんと出会ってすぐに「ひょっとしたら私結婚するかも、まだ先かもしれんけど」と母親に結婚の相談をしました。母からは「20歳を超えているから自分で決めなさい」って全然反対されなかった。そういう教育だったんです。だから私も、子どもの結婚相手にはアドバイスはしても反対はしないでおこうと思っています。

結婚してから私は漫才をやめて、警備会社で保安員をやるようになりました。万引きGメンとして全国4位になったこともあります。


宮川花子さん

夫婦で漫才なんて!

私は芸人の嫁になる気なんか一切ないしヘタクソやと思っていたから、コンテストに入賞できなかったことをキッカケに大助くんにも漫才をやめて、私と同じ警備会社でガードマンの仕事をしてもらいました。お給料もあったし子どももできたし、夫のカッターシャツを洗濯して〝妻をしている私〟がすごく幸せでした。ところが、大助くんはガードマンをしている間もずっと漫才の台本を書き続けていました。

彼はものすごく努力をする人です。漫才をやめている間に遊んでいたわけではなくて、ずっとペンを走らせていました。そしたらある日、「コンビで漫才がやりたい」と言ってきたんです。でも私は絶対嫌でした。ガードマンの生活でこんなに幸せなのに、なんで今さらという思いが強くて、やるなら勝手にやればいいという気持ちでした。

結局、彼の強い意志に押し切られてしまいました。夫婦喧嘩なんてしたこともなかった私たちの生活が激変、練習の日々が始まりました。…

...続きは遊和28号でご覧ください。

宮川花子さん

PROFILE

宮川 花子(みやがわ はなこ)

1955年大阪府生まれ。大阪府警察の女性警察官を経て、芸人・チャンバラトリオに弟子入り。
1975年巡業先で漫才師・宮川左近の弟子をしていた宮川大助と知り合い、翌年結婚。
1979年お笑いコンビ「宮川大助・花子」を結成。
1982年ABC漫才・落語新人コンクール 最優秀新人賞、上方お笑い大賞、日本放送演芸大賞、花王名人大賞 名人賞、2011年第61回 文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞など多数受賞。夫婦漫才として不動の地位を築く。理想の夫婦としてテレビ、映画、CM、講演会などで活躍。夫婦で創作民話の絵本づくりも手がけ、『大助・花子の日本昔話』(全12巻)を刊行。

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