ジャズとの出会い
戦後、ラジオで初めてジャズを知りました。13歳の時です。「世の中にこんな音楽があるんや!」と度肝を抜かれましたね。
特にジョージ・シアリング、盲目のピアニストですが、彼の音楽を聴いたときは全身にビビーッと戦慄が走りました。
和音は綺麗だし、途中に入る即興の演奏が、これまた凄い。
6歳の頃からピアノを弾いていましたので、すぐに自分でもやり始めるようになりました。大学に入ってからは岩国の進駐軍キャンプへ
金・土・日と演奏に行きました。金曜日は一般の兵士、土曜日は士官、日曜日は将校と聴く層が違うのでそれぞれに合わせた演奏を
しなければならず、これがとても良い勉強になりました。
40歳頃までは無我夢中でした。色々な人の演奏を聴いては真似て、しかし真似だけではつまらない。それを自分流に解釈して、 「この演奏は、田中武久のピアノだ」と分かってもらえるようなものを目指しました。
ニューヨークへ
私のアルバムを聴いたエルビン・ジョーンズという米国の著名なジャズミュージシャン(ドラム奏者)から
1990年に声が掛かりました。 「一緒にアルバムをつくろう」と。56歳でした。
それでニューヨークへ飛んでレコーディングをし「WHEN I WAS ASO MOUNTAIN(日本語訳:阿蘇山にて)」として
世界発売されました。
このレコーディングは面白かったですよ。結果的にリハーサル時の演奏が使われました。
というのは、最初の方が集中力もあり、それでいて肩の力が抜けていて、それが良いということでしたね。
自然体のままでいく・・・文化の違いのようなものを感じました。
レコーディングの時間はとても短くて、計4時間位で8曲ほど入れました。今、それがCDになっています(現在、エンヤレコードより
発売されています)。
表現のポリシー
とにかく世の中を明るくしたい!ということですね。
表現のベースは明朗さです。そして、明るさの中で美しさがあり、優しさや貧しさもある。そんな表現でありたいと思います。
現在、ここで、生きている魂をぶっつける。この瞬間に思いの丈の全てをぶっつける。それが私の表現ポリシーであり。生き方です。
20~30歳代は、いかに技術を高めるか、オリジナリティを出すかと、ある意味で自分のために夢中でした。しかし。40歳を過ぎてから
演奏を通じて人を喜ばせてあげたい、元気にしてあげたいと強く思うようになりました。
ライブハウスに足を運んでくれるお客さん、演奏会で出会うお客さんに楽しくジャズを聴かせたい、年を召した方も、少し元気のない方も、
私の音楽を聴いて元気になってくれたら良いなと思います。
74歳を過ぎた今でも、まだまだ前進・前進・前進ですよ。
田中武久 プロフィール
1934年 豊中市生まれ。関西大学在学中より潮先郁夫とライブ活動を開始。
「北のタダオ&アロージャズオーケストラ」と共にクラブ「アロー」にて自己のクインテットを結成。
93年にはエルビン・ジョーンズとの競演で、エンヤレコードより"WHEN I WAS ASO MOUNTAIN"を世界発売。
世界のトップミュージシャンと数々のセッションを行う。





